背景
終わりのない日常の連続に恐怖したことはないだろうか。
バイトの帰り道や眠れない夜にふと我に返った時、これからずっと50年60年、もしくはそれ以上の膨大な時間を今と同じようなことを繰り返しながら過ごしていくのかと考えると、私は、言いようもない恐怖に襲われるのだ。
その不安は誰にも解消できず、誰にもわかってもらえず、自分がどこまでも孤独な人間のような気がしてくる。藤原(2008)の言葉を借りるなら
『いのち、が見えない。生きていることの中心(コア)がなくなって、ふわふわと綿菓子のように軽く、甘く、口で噛むとシュワッと溶けてなさけない。死ぬことも見えない。』
自分は確かに今を生きているのに、生きている心地があまりしないのだ。筆者にとって終わりのない日常の連続は、恐怖の対象だった。
しかし、「エモい」という言葉を初めとするものたちに出会い、そんな日常の捉え方は変わり、色を成していった。
「エモい」と日常の関係
私は「エモい」と「日常」は深い関係にあると考える。なぜなら、日常は無限に続くわけではないからだ。
今さら当たり前ではないかと思うかもしれないが、現代の人々はその認識が薄いと感じる。特に私の住む日本は紛争もなく、比較的裕福な国であるため、ミサイルの落下に怯えることも、明日に食うものの心配もなく、いつ死ぬかもしれない状況に陥ること自体が少ない。朝に目を覚まして、ご飯を食べて、仕事をして、帰宅して寝る。日常はこの繰り返しでできていて、何も変わらぬ朝が当たり前に来ると思っている。平和ボケしているのだ。
私もその一人であり、そんな日常に嫌気がさしてもいた。しかし、どうやらそうではないことを知ったきっかけになったのは、新型コロナウイルスの感染拡大である。
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)は2019年に発生した感染症である。未知の病であったため、感染拡大初期には薬もなく、治療法もよくわかっていなかった。誰しもが最初は「自分には関係ない」と思っていたが、みるみるうちにコロナは蔓延していった。もはや誰が感染しているのかわからなくなり、人々は感染を防ぐのに常にマスクを着けて出歩くようになり、毎日のように不要不急の外出は控えるように報道された。
当時高校3年生だった私の学校でも登校時間を1時間遅らせる時差登校や、クラスの半分だけが一日おきに登校する少人数登校などが実施され、生徒も教員も日々の状況の変化に翻弄されていた。私はそんな中、大学受験の準備をしていたが、感染のリスクや受験への不安を感じるというより、大変不謹慎なのは承知しているが、内心安堵していた。未知のウイルスのせいで先が見えないのは筆者だけではないと不安な気持ちを他者と共有できた気がしたからだ。コロナは感染すれば死亡するリスクもあったため、外に出れば死と隣り合わせという認識もあった。新型コロナウイルスの感染拡大に伴う生活の変化に、平穏な日常の持続不可能性を認識させられたようだった。いつまでも続くわけではないからこそ、日常は儚く、「エモい」ものとして共有されるのだ。
日常の持続不可能性に気づかされると同時に、大学生となった私は高校生までとは違う大学生活にうまく馴染むことができずにいた。また、相変わらず猛威を振るっていたコロナウイルスのせいで、大学生活1年目はほとんどの授業を自宅で受けていた。当然、外出する頻度も減少し、一日中パソコンと見つめ合う毎日。そんな時に出会ったのが「エモい」という言葉とそれを取り巻く魅力的なものたちだった。
作品について
この作品のコンセプトは「肯定」である。「見た人を肯定し、自分自身をも肯定する」をコンセプトに制作を行った。
作品について説明するにあたり、本文中では「傷」のことを「創」と表記している。「創」を使った意図としては、「創」という文字には「つくる」という意味の他に「きず」という意味も含められているということを知り、「創る」という表記にすることで、過去の「きず」があったからこそ生まれた作品だと鑑賞者に印象付ける狙いがあった。「傷」という表記は、「傷つく、傷つける」など、動詞的に使用する場合に、「創」という表記は「過去のこと」「心の中のことであるため、見た目からはわかないが確かにあるもの」など、名詞的に使用する場合に使用した。
プラバンについて
この作品は大きく分けて、写真の作品とイラストの作品に分けられる。写真の作品に使用したのはプラバンである。プラバンはトースターで加熱をすると収縮し固まる材質だが、写真に使用したのは、プラバンを加熱する時に十分に収縮する前に取り出し、いびつな形のまま固めたものだ。
プラバンを使用した理由は、プラバンの持つ特徴にある。プラバンは、軽い。その軽さは、過去の創に対する他人の軽薄さや、他人に語るにも自らを憐れむにもあまりに小さすぎる創を。またその透明さは、ふとした瞬間に形を成して胸を刺してくる創を表している。
インタビューについて
作品制作を始めるにあたり、私と同じ大学生4人にインタビューを行った。インタビューを行った狙いとしては、前述したように、日常において不安や恐怖を抱えている瞬間が具体的にいつなのか、他人と自分とで異なるのかについて知ることであった。インタビューは、雑談のような和やかな雰囲気で行われ、私はインタビューをしながら、考えたことなどを逐一ノートに記録した。それから、4人には、青春について、過去の思い出、辛いこと、苦い体験、趣味、理想の自分の姿などを質問した。
イラストについて
イラストには過去の創を直接表したものとその創を肯定するものの2種類あり、インタビューで得られた、自分自身や他人についての発見が基になっている。
また、全部で5つあるイラスト作品は裏側からLEDライトで照らしている。これは、明かりや光っているものには、肯定感や安心感を与えてくれる効果があるという考えから、作品の要素として取り入れた。
夜中に煌々と光り、明かりを提供してくれるコンビニや人家から漏れ出ている明かりなどは、そこに確かな人の存在を確認することができ、「自分は一人ではないのだ」という安心感を与えてくれるような気がする。5つのイラスト作品もぼんやりと発光することで、目を引く効果と同時に、肯定感や安心感を与える効果もあると考える。
まとめ
私の人生はこれで終わりではない。日常は続いていく。
その途中で一生癒えない心の創を負うことになるかもしれない。生きていくのが嫌になることがあるかもしれない。
そんな時、この研究で得たものはきっと力になるだろう。そして、この作品が私と同じように劣等感に苛まれて、明日を生きるのも億劫な人たちにとっての希望になることができるなら幸いである。






